昭和二十一年
大東亜戦争の空襲による家屋の喪失
戦後復興のため建築の道へ
大東亜戦争の空襲による家屋の喪失を経験して、戦後復興の一番は住宅建設にあると確信した。昭和21年、武川村に職業訓練学校が出来ると聞いた。さっそく手続きをして入所を決めた。田中七郎22才のときである。そこは終戦後、武川村に出来た山梨県最初の職業訓練学校だった。
戦前、大阪の木工機械の会社に丁稚奉公して無理が祟り。気管支を患っていたので学校も休みがちだったが第一期生として翌昭和22年3月卒業した。
昭和二十二年
ゼネコンの建築現場を渡り歩く
後に大工手間の請負業を開始
同年4月に上京、中野の親戚に下宿することにした。東京都下では復興のアパート建設が凄い勢いで建設されている。ゼネコンの間組の野丁場や戸建住宅などの建築現場を渡り歩いた。夜は靴下に三寸角を入れこれを枕にして、現場に泊まった。工事のこつのようなものを身につけ大工の腕を磨いた。実力も備わって来たので帰郷して甲府市白木町に下宿する。甲府市湯田、株式会社高山工務店の大工として大工手間の請負業を開始していた。戦後住宅困窮の時代に、毎日一生懸命汗を流しながら多くの住まいを作り、地元をはじめ地域に大変喜ばれた時代でもあった。
昭和二十六年
昭和26年より甲府市下石田617番地で水晶加工工場を経営していた伊東みつよと結婚し、田中姓から伊東姓へ移り、田中七郎は伊東七郎となった。
昭和四十二年
個人経営から法人へ
有限会社伊東工務店設立
昭和42年4月,甲府市下石田町617番地に個人経営であった建築設計請負業を法人化し、有限会社伊東工務店を設立した。又、かねてより研究を進めてきた木材利用技術である集成材及材木材加工工場500m2を重量鉄骨構造で建設した。同時に静岡県三島市の小林機械工業から巾600mm長さ4000mmの260t油圧式プレスを導入した。当時画期的なこの木材プレスは県の工業技術センターでも主任研究員が研修に訪れてきた。
高度成長時代の日本経済の発展拡大する時代と共に事業は確実に拡大していった。伊東七郎、2級建築士の資格を取得。独自の営業による元請受注と太平住宅の下請け工務店として歩んだ。
昭和四十七年
建築コンクールで全国最優秀賞
を二期連続受賞
太平住宅株式会社主催の建築コンクールで全国最優秀賞を二期連続受賞。(石和町井戸の佐藤邸、甲斐市富竹新田の古屋邸、ともに現存)このことから、現場監理技術提案施工能力が全国的のトップレベルにあることが実証された。
昭和五十一年
重量鉄骨構造の新事務所へ移転
甲府市国母三丁目1-3に重量鉄骨構造の二階建て事務所を建設し、母屋に増築した小さな事務所から移転した。又、木材置場にRC賃貸住宅24戸を建設、木構造、重量鉄骨構造。鉄筋コンクリート構造と確実に実施経験と共に技術的な力を身につけて来た。
昭和五十三年
建築業許可、般-53第50号を取得
昭和51年から始まった建設業が登録制から許可制に変更され、昭和53年に建設業許可、般-53第50号をいち早く取得した。
昭和五十五年
一級建築士を取得し、伊東工務店
一級建築設計事務所を設立
昭和55年一級建築士を取得 伊東工務店一級建築設計事務所を設立登録した。同時期太平住宅との契約を解消、独自の企画営業体制へ移行した。
昭和の終わりを迎えバブル経済の上昇混乱崩壊停滞の時代があったが。重量鉄骨工事RC造のマンション工事も受注が出始めだした。
昭和から平成へ
施工能力とデザイン提案力を
問われる時代へ
時代も昭和から平成に変わり、バブル崩壊、施工能力とデザイン提案力を問われる時代に入り、建築空間にも実用性、先進性、提案性、日本的アイデンティが要求される時代となった。コンペティションへの挑戦が行われた。
平成四年
TOTO増快写真コンテストにて
全国最優秀賞を受賞
平成4年のTOTO増快写真コンテストに大和町の山田邸(甲府市大和町に現存)が全国最優秀賞を受賞。その後受賞の度に山梨日日新聞に掲載された。この年から、旧顧客を中心にしたビジュアル表現のポスターとはがきの作成と配布を始めた。建築会社の目標、姿勢、提案をそのテーマに一年4回の制作が始まった。撮影から制作配布まで社内でおこなっている総てがオリジナルである。
シリコングラフィックスの
コンピューターを導入
シリコングラフィックスのコンピューターを導入を行い、日本の建築系CGの先駆けとなった。マンション建設も増え始め、構造も重量鉄骨構造、鉄筋コンクリート構造、木造軸組構造、複合構造など技術的な挑戦も経験も備っていった。
平成十一年
新社屋を建設
県道3号甲府市川三郷線拡幅工事に伴い、新たに新社屋を建設しました。建物は鉄筋コンクリート3階建で、延べ床面積は160坪です。1階はギャラリーとしてオープンし、2階3階が事務所となっています。外観は、外周半径11.8mのR状の建物です。当社施工です。
現在の社屋(平成11年竣工)
平成十二年
創業者から現社長へ
創業者の伊東七郎から長男の伊東誠へ代表者が交代。
平成十九年
山梨県初の福祉住環境コーディネーター1級を取得する
介護保険が始まった後、小中規模改修工事を中心とした高齢者や障害を持つ方の工事を行なうようになり、これまで数百件の実績を積む。平成19年春、伊東誠三が、難関とされる東京商工会議所主催の福祉住環境コーディネーター1級を、県内1号として取得した。
平成二十一年
SE構法を採用する
重量鉄骨造の技術に代わり、木造の新たな構法であるSE構法を採用。株式会社NCNとの契約を結んだ。これによりこれまでの常識とされた木造技術を超え、耐震等級3を許容応力度計算による確かな構造を確立させ、大きな自然災害にも耐えうる構法を得た。